面倒な鯵フライ ー 昭和の記憶

高級魚になってきている。恐れ多くてツミレにできないくらい


父がそばの次に?好物として片手に入るのがアジフライ。

味の下拵えは私の仕事で。

セイゴを削ぎ

薄い膜のような皮を包丁で剥ぎ

毛抜きで指の腹で当たるのを探りながら小骨を抜いていく

ここまでやらせる?

大人になって外で食べたら小骨ゴロゴロで、ほくほくハフハフしながら小骨を口で探りながら食べる

衝撃だった。

・・・ってことは・・・


アジフライを食べる食卓で。「ねえ お父さん、外でアジフライ食べる時はどうするの?」

「外では気をつけて食べる」

・・・

父亡き今。作らないアジフライ。

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おりょう OwndBar

洒落程の解る方々のBarでありたい。 何者? 海外生活を経て 日本の文化を改めてリスペクト 。 懐石 茶の湯 歴史 着物…と進めると 元々大好きだったワインとあわせた「今様手すさび」懐石料理屋を 営む。 シガーからタウニーポートにご縁。全てにハマればハマるほど芋づるで興味果てしなく。 同時にその時次世代の鬱の多さに 今は幼児教育と英語を絡めたビジネス。 ロードバイクLoverでもある